お葬式への理解
お葬式って何だろうか、誰にでも必ず訪れるのが死である。人は、誕生したその瞬間から、死への道を歩み続けるのである。葬式とは死後の世界への通過の儀礼のようなものであり。葬式は、人間の世界から死後の世界へ逝くときの通過儀礼ともいえるだろう。
葬式とは、言うまでもなく死者を葬る為の儀式である。正式には「葬送の儀礼」という。「単に葬礼、葬儀」ともいう。しかし人間の死は、唯単に肉体の死滅に留まらずに新たに死者との係わり合が生まれるときでもある。
其処には死者の霊との結び付きが出来るのである。服装や供養、祈願、そしてタブーなどの習俗が伴う。葬式という言葉は、死者の処理の儀礼と共に、死後の一連の弔祭儀礼の全てを含む、広い意味で用いられる場合が多い。民族間の死生観により異なるが、普通は次のような方法がある。
死体を捨てる方(死体遺棄)
死体を破壊する方(火葬)(鳥葬)
死体をしまう方(埋葬)
死体を保存する(ミイラ葬)方法であるが、現代では火葬の式が90%を占めている。都市部では、衛生上の観点から都市条例により土葬が禁止されているために火葬が中心となっている。
火葬は仏教の伝来と共に行われるようになったと言われている。仏教においては、火葬のことを「茶毘に付す」というが、これはパリ一語のジャーぺ-ティ音写で、釈尊の入滅のときに遺体が茶毘に付されて以来、火葬が仏教徒の葬法となったようであるが、火葬が一般的になったのは七世紀後半から八世紀頃で、各地に一定の火葬場を設け、これを「三昧所」と称するようになってから、だんだんと葬式の儀式を専門的にする職業になって今日にいたったと思われる。
一方で土葬式が縄文時代の遺跡に見られ歴史も古い。現代でも地方では土葬式が行われているところがあり、仏教式葬法によるものでも土葬と火葬との二種類が併用されている。主要宗派の葬送儀則が火葬・土葬の両儀則を謳っているところも、現実の葬法の反映といっていいだろう。ふだん宗教と縁のない暮らしをしている人でも、いざ葬式となると仏教式をとるケースが多いようだ。
調査によると、葬儀を仏教式で営んだ人は九割に達しているとか。日本の仏教が「葬式仏教」と呼ばれるゆえんだろう。これは中世以降、仏僧が葬儀に積極的に関与し、仏教葬が基本的葬法となって定着したのが原因であろう。
仏教における葬送は、様々な教典に説かれている。
釈尊の入滅時の姿勢は「頭北面西、右脇臥」で、入滅のあとその遺言によって茶毘に付きれご遺骨(舎利)が配分され、各国に塔が建てられた。日本においても葬儀式の儀礼構造は仏教の伝統に基づいており、人生の終局として、捏磐の都への凱旋式が葬儀式といえる。捏柴とは煩悩の火を消した悟りの境地で仏教における理想の境地を指す。
諸宗派の内でも、禅宗は浄土(極楽浄土)を立てないので、文字どおり葬儀は捏紫の都への凱旋門となる。他の宗派は死後赴くべき浄土を設けるので、死者を仏弟子として、救い主である仏の浄土(密教では密厳浄土、浄土系では極楽浄土、日蓮系では霊山浄土)へ導くことが主眼とされている。
日本の仏教は、古来の民俗信仰と習合し、日本独自の仏教を作り上げた。葬儀式においても、儀礼構造は仏教の伝統に基づいているが、その習俗は仏教と民俗信仰の総合作用からなった産物である。死んだ人を送ると共に、儀式を通じて自分自身が立ち直ることでもあるのです。言い換えると、葬儀のやり方は生きている自分、残っている自分がどのように確りと出来るかにつながっている訳です。立派な儀式が出来たということで、自分は慰められ、安心もします。不安定な死霊は、葬送による一連の儀式によって、しだいに安定し清められていくのです。そして死者の子孫が繰り返し行う祭司によって、死霊は祖霊へと昇華する。個別的な存在であった死者は、個性を喪失し、全一的な融合体としての先祖に合体するのだ。祖霊は子孫を守り、祝福する恵み深い神性であり、家にとっては守護神。祖先を宗教的に崇める祖先崇拝者は、民俗信仰の一大特色といえるだろう。そうして形式的なものから内面的なものに入ってきますと、仏教の教えに結び付いてくるのです。
合掌
慧覚
